妖怪の棲む場所というのは、どこか近づき難い雰囲気を放っているものだ。
ここマヨイガもその一つ。
迂闊に旅人が入り込んだりすると二度と出られなくなったりする事からその名がついており、さらには幻想郷の妖怪で一二を争える程の力を持つスキマ妖怪、八雲紫が居を構えている場所でもある。
が。
「藍さま〜。遊びにいって来まーす!」
「そろそろ日も暮れて来るからな、暗くなる前にちゃんと帰るんだぞ橙ー」
八雲家の玄関では、そんな場所だという事を微塵も感じさせないような何とも和やかなやり取りがなされていた。
笑顔で走っていく橙の姿を、藍はまるで妹を見るかのように眺めている。その様は端から見ると過保護な姉そのまんまという感じだった。
「さて……そろそろ紫様を起こすか」
橙を見送ったあと、藍は自分の主人である紫の寝所に向った。
普通、式というのは主人に代わって仕事をする為に使役されるものだ。だが、藍は橙を自由奔放に遊ばせたり一緒に寝たりと、本来ならばまずありえない事を平然としている。
しかし、仮にその事を誰かに尋ねられたとしても
「ん? そんなにおかしな事か?」
そう言って藍は軽く笑うのみだだろう。
藍が橙の事をただの道具などではなく、家族として愛しているのは議論の余地が無い。彼女達が八雲一家と呼ばれる理由はこの辺りにもあるのかもしれない。
ただ、一家の主人たる紫にもそんな気持ちがあるかと問われれば……藍に対する扱いを見るだけで、疑問符がたくさんつくのだが。
「紫様、もう夕刻です。そろそろお目覚めになってください」
寝所の襖を開けると、あられもないという言葉そのままな格好で紫が熟睡していた。はだけた寝巻きからは規格外の大きな胸が、おもいっきりのぞいている。
まあ、藍にとってはしょっちゅう見ている主人の胸だが。
「またそのようなご格好で……。紫様、起きてください紫様」
ユサユサユサユサ。
「んー藍〜。あと三十万秒くらい寝かせてー」
「え? 三十万……ですか?」
主人の思わぬ言葉に、真面目な藍は思わずどの位か頭の中で計算を始める。
一分が六十、一時間が三千六百、という事は…………。
考える事しばし。はたと藍も、自分の主人が時間稼ぎに入っている事に気がついた。
「紫様――! 何をおっしゃってるんですか何をっ!!」
「あら、思ったより速かったわね」
顔を上げると、紫はあちこち飛んだ髪を弄りながら既にベッドから体を起こしていた。紫にしては珍しく寝起きの良い方である。
「お目覚めでしたなら、素直に起きてくださいよ……」
「何いってるの藍。目が覚めたからって素直に起きるなんて面白くないじゃない」
「はぁ……」
いつもと何ら変わらない主人の台詞にげんなりする藍。紫の式となって相当な年月は流れているのだが、今だに藍にも良く掴めない所がある。というかほとんど。
「おほん。では私は夕餉の用意をしますので、出来ましたらお呼びします」
食っちゃ寝の紫と違って色々と仕事の多い藍である。そう言って一礼し、藍が紫の部屋から出ようとした時だった。
「ああそうそう藍。橙は今日、どうしてるかしら?」
それは、普通の相手だったならば極々当たり前の言葉。が、藍は軽い驚きを禁じえなかった。
普段から式を半ば以上道具扱いな紫が、橙がどうしてるかを尋ねるのは、かなり稀だったから。
「え、あ。外へ遊びに行ってますが、夕餉までには戻ってくると思います。ただ紫様がお呼びならば、探して参りますけれど……」
「別に良いわよ。どうしてるかと思っただけだから。それより藍、ご飯よろしく」
それだけ言って紫は気だるげに大欠伸。ついでに腹の虫も鳴る。
何とも色気もへったくれも無い。
「あ……申し訳ございません。分かりました、ではすぐに」
そそくさと藍は部屋を出ていき、そして部屋の中には紫のみになる。
「………………」
しばらくの間、紫は何もせず窓の向こうの赤い夕陽をぼんやりと眺める。
何かに思いを馳せるかのようなその紫の表情からは、普段の超然さも胡散臭さも鳴りを潜めていた。
* * *
明けて翌日。紫は、橙に仕事を命じた。
「別に急がなくてもいいから確実に幽々子に渡しておいて」
そう言って橙に手渡されたのは、紫が友人である西行寺幽々子に宛てた一通の手紙。
いつもは藍が運ぶのが常である幽々子への手紙を橙に任せた、その紫の真意は何なのか。
「ほら、手紙は手に持たないでちゃんとしまっておけ。変なの出るかもしれんから気をつけて行けよ、ああ、それとそろそろ寒くなってくるけどそんな格好でいいのか? それから道をもう一回……」
「もー藍さま心配しすぎーっ。藍さまの代わり、がんばって行ってきまーす!」
端から見たら妹の心配をする姉そのまんまな藍を尻目に、はしゃぐ橙は意気揚揚と出発した。
「ああ橙一人で大丈夫だろうか……。橙――! もし転んだら、ちゃんと起き上がるんだぞ――!! ちゃんと帰って来るんだぞ――!!」
夕陽をバックに去って行く橙を眺めつつ、つい大声で橙に声をかける。かけてる言葉が何ともアレだが、これでも藍は純粋に心配してるのだ。
「やれやれ。これじゃあ、どっちが保護者かしら」
そんな藍の様子を眺めて、紫は軽く肩をすくめた。まあいつもの事か、という言葉を付け加えて。
とはいえ何も起こらないはずもなく、藍の心配をよそに橙の道中には案の定というか何と言うか、弾幕の花が派手に咲きまくる事になるのだが。
橙の初めての大冒険が今、始まる。
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