葉桜がたけなわに咲く時節だが、この竹林の風景はあまり変わらない。遠くから風に乗ってきた花びらが、点々と道を薄い紅色で繋いでいるのが唯一の季節感となっている。
その桜色を散りばめた細い獣道の先、笹の外れの音に包まれた小さな庵。その古びた戸を、慧音はゆっくり引き開けた。戸を叩くのはそこそこに、いかにも気安くといった手つきだ。勝手知ったる他人の家という言葉があるが、中々の好例だろう。
「ん、勝手に上がっちゃって」
返って来た家主の返事も、またかしこまった様子には程遠い。気を置かなくて済むほどの間柄というのが伺える、親愛と信頼を込めた気楽な返事である。
元々の性格が、長い人生で得た達観なのか諦観なのかわからないが、それなりにさばけているというのもあるが、それでもここまで無警戒で無防備なことはない。
藤原妹紅。慧音とはそれなりの付き合いをしている蓬莱人である。
彼女は縁側に片胡座してお茶を飲んでいた。湯飲みを傾けながら、時折部屋の中へ視線を向けている。
「……どうした、挙動不審だな」
不規則な振り子となっている、妹紅の視線。それを見て、慧音は首を傾げながら聞く。
確かに誰がどう見ても不自然だ。何かを目で追っているのでない限りは。
妹紅はむ、と小さく唸ると視線を慧音のほうへ向けて、意味ありげに座敷の奥を指差す。
「まあ、なんだ。診てやって。昨日から起きないのよ」
困ったような声。こんな風な妹紅を見るのは久しぶりな気がした。
誰ぞ病人でも拾ったのかと思いつつ、慧音は座敷を覗くと―――
「……また、珍しい者を拾ったな」
「でしょ? ……私も少しくらい医の真似事はできるけど、さすがに“妖怪”は分からないしさ」
どうしたものか悩んでた、と頬を掻きつつ言葉を続ける妹紅。確かに妖怪の体の仕組みなど知っている者はほとんどいないだろう。
ふと慧音の脳裏にある医者―――薬師の姿が浮かぶが、まあアレは除外するしかないだろう。妹紅は何となく苦手にしていそうだ。
「確かに、お前からすれば敵側だしな。その分、私ならば問題はないか。知識は劣るが半分は妖怪だし、多少はその辺を知っているつもりだ。……まあ、とりあえず診てみるとしよう、って、この傷は?」
……正直、敵とは思えないけどな。
その言葉は声の奥にしまいこみつつ、とりあえず寝かされている布団をめくってみると、包帯やらなにやらを巻いてある姿が目に入った。
服は……妹紅が自分の寝巻きを着せたのだろうか、桜色に深緑色を散らした丹前である。
彼女の枕もとには、着替えさせる前のものだったのか、ぼろぼろになっている紫色の衣装がやや雑に畳まれて置いてあった。その上にちょこんと置かれた帽子は、小鳥を象った飾りがついていてなんだか微笑ましい。
「この傷は? 魔術か妖術のものに思えるけど」
「ああ、焼き鳥になりかけてたよ。ビームで」
「……むう、あいつか」
知り合いで熱光線の使い手など一人しかいない。
妹紅の一言であっさり相手に思い当たった。まあ、どっちから喧嘩を売ったのかは定かではないが、とりあえず不運に同情しておいた。空から降ってきた星に頭を直撃されるようなものだ。
「妖怪だし、怪我自体は大丈夫だ。ただ妖力が枯渇しているみたいだから、元に戻るまではしばらく掛かるだろうな」
「それって?」
めくった布団を丁寧に直すと慧音は腕を組んで縁側へと戻った。
指を一本立てて、妹紅へと向き直る。
「要は自分の力を使えないということだな。例えば飛んだり、弾幕撃ったり、後はこいつの場合は目を見えなくさせる、か。たぶん直撃を受けたときに結界で防御したのだとは思うが、そのせいだろうな。ほとんど全てを使い切ってしまっている」
「そりゃ、アレを受けるのは厳しいわね。私も塵にされたし。……で、このまま寝かせておけってこと?」
「そうだな。自然に回復するだろう。特効薬もないし、風邪と同じでゆっくり休ませるのが一番だ」
と、そこまで告げて、慧音は何か困ったような表情をした。例えるなら烏龍茶と思って飲んだお茶が麦茶だったというような、食い違いを感じ取った時の顔。
妹紅がどうしたのさ、と声をかけると、
「……あー。で、どうする気なんだ。人間でなくて妖怪だぞ? お前には縁もあるまい」
そんな疑問を口にした。
まあ、人間であれば別に面倒を見るのは構わない。少なくとも慧音は捨て置かないし、妹紅もそれほど薄情ではない。
ただ、これはどれほど弱っていようと妖怪だ。言い方は悪いが、人を襲う怪物なのだ。
慧音のような例外も居るが、彼女もその例外に含まれるとは―――
慧音がやや不安そうに妹紅の顔を見る。思わず、目を丸くしてしまった。
彼女はうっすらと、そんな懸念を笑い飛ばしていた。
「―――懐中の鳥、之を殺さず。ま、そういうことで」
そんな予定調和の恐怖なぞ眼中になし、と言わんばかりの声。約束事の向こう側に居る彼女は、その程度の瑣末など、意に介していなかった。
「ものはどうあれ飛び込んできたんだ。だったらまあ、それも縁さ。だったら切らずに取っとく方が面白い」
にっ、っと白い歯を見せて、妹紅は断言する。
つと、慧音は思い返した。
妹紅はそこらの妖怪よりも、私よりもよっぽど強いのだ。身も心も。たかが妖怪一つ、抱えることに何の問題があろうか。
「……反省するよ。お前のことを失念していた」
「いきなりなんだよおい」
苦笑交じりの言葉で呟く。長い付き合いというに情けない体たらくだ。
ふと慧音が視線を向けると、妹紅がくすぐったそうな顔をしていた。
「とりあえず、新しい布団と枕は用意しておく。後は畳もか。そうだな、他に入用の物があれば言ってくれ。食料とかも必要か?」
「ん、助かる。……あ、妖怪って何食べるんだっけ。人間? 自腹切るのはちょっとな」
「本気でやりそうだから今のうちにとめておく。やめろ。切腹も割腹も伊達になるのも駄目だ。……まあそれは置いておくとして、普通の食事でいいんじゃないか? あの巫女のところを見ている限りだと」
「それもそうか。んじゃその辺はよろしくね。……あ、鶏肉はやめといたほうがいいよね。さすがに精神衛生には良くない」
「……だな。鳥には見えないが」
そうして一言二言を交わしていると、何かがのろのろと動き出す気配を感じた。
二人があわせて首をめぐらすと―――
「―――おう、おはよう。朝の囀りは無しかい?」
「―――ふむ、起きたか。身体の調子はどうだ?」
人は縁と物語で生きる。
妖もまた然り。
袖擦り合うも他生の縁。
羽並べるもまた奇遇の縁。