腹が減っては戦はできぬ、って諺は私もよーく知っている。これでも月では戦いだけに明け暮れた日々もあったんだから。

「師匠〜。そろそろお昼にしませんか?」

「その台詞もう三度目ね、ウドンゲ」

 でも戦い以外でそれを実感したくはないもんだ……と私は今、しみじみ思っていた。

「働かざるもの食うべからず、って言葉もあるわよ。せめてその棚くらいは終わらせなさい」

 すると師匠から考えを見透かされたような言葉が返って来る。

 それだったら姫様はどうなんだろうとか思いはしたけれど、仕方が無いから作業に戻る。無駄口叩くより、手を動かした方が早いし……と思ったら。

 ぐ〜、キュルルル……。

「それも三度目」

 口じゃなくて別の所が抗議の声を勝手にあげた。

***

 事の起こりは朝の食事中。師匠がいきなりうさぎ達の食卓にやって来て、食事が終わったら私の仕事場まで来なさいと言われた。

 師匠は自分の仕事場に、姫様以外は一切誰も入らせない事でうさぎ達の間でも有名だったりする。だから、そう言われた時はかなり驚いたし、そして実は結構嬉しかった。

 仕事場に私を入れてくれるという事は、かなり自分を信用してくれてるんだと思ったから。でも、そんなささやかな喜びに浸ってると私の横に座っていたてゐに

「うわー、凄いじゃん鈴仙! でも何かなぁ、永琳様が鈴仙を名指しで呼ぶなんて……実験材料じゃないと良いね。あ、でも蓬莱の薬だったら戻ってから製法だけ教えてねー」

 とか言われて物の見事にぶち壊しにされたけど。

(ちなみに思わず、私を縛り付けて実験道具片手にアレな表情で笑う師匠を想像してしまったのは内緒だ。……似合い過ぎとか思ったのはもっと内緒だ)

 そんな訳で嬉しさ半分、怖さ半分で師匠の仕事場の扉をくぐると、凄い量の薬品やら実験に使ってる機材やらがぶわっと目に飛び込んできた。

 そしてそんな部屋の中でも存在感を全然失わずに『この部屋の主!』って感じで椅子に座っていた師匠が私に気がつく。

 で、言われた言葉は。

「ああ、来たわねウドンゲ。呼んだのは他でも無いわ、机の上と棚、整理しなさい」

 物の見事にただの雑用だった。

***

 で……それから薬のビンやら実験の道具と格闘する事しばし……いやかなり。

 まあただの片付けだし多少数は多いけど……とは思ったけれど、これが甘すぎた。師匠から『ちゃんと区分けをしなさい、ラベルに書いてあるでしょ』だの『薬の色も揃えなさいよ』だの『間隔は詰めすぎず開けすぎず、三寸あけなさい』だのと、師匠から指示が飛ぶたびにやり直し。

 お天道さんは中天をとっくに通り過ぎている。あともう少しすれば地平線が赤くなりそうな気配だ。

 何ていうか……罰ゲームでもやらされてる気がしてきた……。

 いい加減そんな事を考えた時、そんな私を尻目に何やらずっと調合していた師匠が顔を上げる。

「まあそんな所かしらね、ウドンゲにしては良くやったんじゃないかしら。じゃあこれ、そこの空いてる隅に置いといて」

「あ、はい分かりましたー!」

 あー良かった、やっと終わる。師匠から極彩色に輝く薬ビンを受け取って、今の今まで自分が格闘していた棚へと足早に向かう。なんで薬が極彩色に輝いてるのかは考えない考えない。

 その時、足にゴツンという感覚があった。

 あれ? と思うのと、視野が低くなるのは同じくらい。少し遅れて、床に置いていた物の何かにけつまずいたんじゃないかとか考えられるくらい、動きはとてもスローに感じた。

 ああ、待った待った待った、これはまずい、本当まずい。いやえとあの、お願いだから止まってー!

 そんな私の願いは、冷淡に無視される。

 ドシンドンガラガッシャーン、パリンパリーン!

 思いっきり棚に激突して、そんな漫画みたいな音が響いた。

「い、いたぁ……!」

 うう、本当痛い。思いっきり頭から突っ込んだんだから当たり前だけど、洒落になんない。

 けどその時、自分が何をやらかしたかも実感した。

 目を開けるのが怖い、あれだけ派手な音がしたんだから絶対目もあてられない状態になってるだろうけど……ああ、どうかほどほどで終わってますように!

 そんな祈りと共に、そーっと目を開ける。

「…………うわ!」

 私の視界に飛び込んできた光景は予想をはるかに超えて、目どころか色々とあてられなかった。

 棚は床に横倒しになって、ビンはほぼ例外なく粉々。しかも床に置いていた器具まで被害拡大しててぱっと見ただけでも半分以上が割れたり、ヒビが入ったりしてる始末。

 薬ひっ被ったせいで体も至るところベトベトするけど、そんな事はもうどうでもいい。

 ああああああああああああ。

「やっちゃった……」

「やっちゃった……じゃないわよ」

「うあ! 師匠ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 呆れたような目で、師匠が私を見下ろしていた。ああ絶対に怒られるいやこんな事やったら誰だって怒るけどつか私だって師匠の立場だったら絶対に怒るけど!

 でもその時、仕事場の扉が開いた。

「永琳、賑やかな音が聞こえたけど楽しい事でもやってたの? それと頼んでおいた物できたかしら」

「ああ姫様、大した事ではありませんわ。ただ頼まれました物は今日中には難しくなりましたので、明日までには」

 そうして姫様は私の周りをちらりと眺める。あぅ、もしかして姫様が頼んでた物って、師匠にさっき渡されたビンじゃあ……。

「なるほど、でも永琳がイナバをここにいれるなんて珍しいわね」

「ああああああ、師匠、姫様、ごめんなさいすいません本当に!」

 ああ、時間が戻るならばほんの1分前の自分にとって代わりたい。

 でも。師匠や姫様の反応は予想外だった。

「んー。永琳、ちょっと私の部屋に来なさいな。ああそこのイナバはお風呂にでも行かせなさい、あまりにも見た目がアレだわ」

「ええそうですわね、分かりました。じゃあウドンゲ、そういう事だから」

 目が点になる私をそのままに、師匠と姫様は部屋から出ていく。

 しばらく、あっけに取られた私だけがポツンと残されていた。


「へー、そんな事あったんだ。でも鈴仙てば本っ当ドジだねー」

「ううほっといてよ、てゐ。これでもかなり気にしてるんだから……」

 風呂場に行ったら何故か、てゐがいた。

 とりあえずドロドロの体を流しつつ、何があったのかをてゐにも話してみる。ひたすら怒られるのを覚悟していただけに、何も無かったのが信じられないし。

 後はてゐだったら何か思いあたるかもしれないとか思ったのもある。

「でも私だったら絶対に百叩きとかだけど、何も無かったってのは妙だとは思う。まあ姫様や永琳様の考えを私達が普通に理解しろってのは無理があるけどさ」 

「それはそうなんだけど……」

 やっぱりてゐでもわかんないか。まあ当然といえば当然だけど。

 でも、てゐはもう一言付け加えた。


「だけど、このまま何も無しで終わるとだけは思えないね。私の勘だけど」

 何とも楽しそうにクスクスと笑うてゐの笑顔とその言葉は、なんだかとっても予言的で、それもやたらと確信めいていて。

 ああ、絶対に今夜の夢見は良くないな……と、思わざるを得なかった。


【火の無いとこにも煙立つ?】




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挿絵担当 鰻 SS担当 はね〜〜






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