
博麗神社住人事情
博麗神社の境内を、一人の少女が言葉も無く掃き掃除を続けていた。敷き詰められた玉砂利を踏む足音と、その表面を箒の先端が撫でる音のみが続いている。
陽は、まだ低い。東の山稜には上りきらぬ太陽が顔を覗かせており、おそらくは小鳥でさえもまだ眠りの中だろう。
そんな朝早くから、彼女、博麗霊夢は境内の掃除を行っていた。言葉の一つを吐くことも無ければ、溜息の一つを漏らすことも無い。まるで自らの心を沈めるかのように、ただ淡々と、或いはだからこそ執拗に、箒を動かしていく。
それがきっと、アイツとの一番の違いだろう。そんなことを思いながら、神社の縁側に寝転んだ魔理沙はぼんやりと霊夢の姿を眺める。見慣れた光景だ。何度も目にして、故に久しぶりで、しかし彼女はそんなことを感じることは出来ず、ただ情報でのみその事実を受け取って、
「なぁ」
と、霊夢に声を掛けた。
箒が玉砂利の上を走る音が消える。掃除の手を止めた霊夢は振り返ることなく視線だけをこちらに向けると、何、と端的に言葉を返してきた。
「ご飯ならまだよ。て言うか催促しても出さないわよ」
「いきなりだなおい。もしかしておまえ私のコト嫌いか?」
にべも無い物言いに魔理沙が不貞腐れながら言い返せば、霊夢はくすりと小さく笑う。
「まさか。嫌える筈が無いわ」
「……それはそれは」
肩を竦める魔理沙。
霊夢はそんな魔理沙に一瞬、心の底から安堵したような微笑を浮かべ、
「……」
すぐにそれをかき消すように、恥じるように表情を消して、掃き掃除に戻る。静かな音がまたしても単調に続き、はて、と魔理沙は首を傾げた。自分は、果たして少女にどんな言葉を掛けようとしたのだろうか。
魔理沙は境内の掃除を続ける霊夢から視線を外し、本殿へと顔を向ける。みすぼらしいとは言わないが、決して驚くほど立派でもない、見慣れた建物だ。
その奥。
此処からでは窺うことも出来ない、一番奥のその部屋に。
彼女が静かに、眠っている筈だ。
「――あぁ」
ぽつり、と魔理沙は呟いた。そうだ、と思い出す。思い出す、という単語に自らの歪さをしみじみと感じ、しかしそれをただの苦笑でやり過ごし、改めて霊夢に声を掛ける。
「なぁ」
「何よ。ご飯なら」
「いやいいからさっきの繰り返しは。そうじゃなくて、だ。簡単に聞かせてもらうが。おまえさん、無理してないか?」
「――」
すっ、と。周囲の気温が軽く下がったような気がした。
へぇ、と魔理沙は言葉に出さず胸の中で小さく呟く。どちらかといえば驚きで、同時に嬉しさの呟きだ。小さな動作でこちらに顔を向けた少女の瞳は、その視線は、成る程、博麗神社の巫女という肩書きには十二分に相応なものだろう。
ただ惜しむらくかな、その視線を向けるべきは自分ではなく、おそらくは誰でもない。それは誰にも、何にも向けられないからこそ意味を持つ類のものだ。別段誰かにそれは斯く在るべしと聞いた訳ではないが、博麗霊夢との付き合いは、なんだかんだ言っても誰よりも長かったのだ。その程度のこと、分からない筈が無い。
故に魔理沙は肩を竦める。悪いな、と口にした。
「なんとなくそう思っただけだ。別に貶した訳じゃないぞ」
「分かってます。けど、二度と口にしないで下さ――しないで」
苦虫を噛み潰したかのように言い直す少女。霊夢。身体の緊張を解くように息を抜くと、いままでの会話がまるで無かったかのように振る舞い、掃き掃除を再開する。さて。はたして霊夢は、その足が先ほどから動いていないことに、ずっと同じ場所を掃き続けているということに気付いているのだろうか。
魔理沙はそのことを口にしようとして、止めた。あの一件以来名実共に命知らずとなり、誰よりもまずレミリアに呆れられることの多い魔理沙と言えど、わざわざ藪を突いて蛇を出すような趣味は無い。その蛇が八岐の可能性もあろうものなら、余計に、だ。
どうしたものか、と魔理沙は思う。この数日の出来事は、彼女とは言え流石に理解している。その程度の理解が出来ないほどに彼女は子供ではない。だが、同時にそれに対して何らかを抱くことが出来ないのも事実だ。何らかを抱けるほどに――霊夢のそれを、ただありのままとして受け入れることが出来るような年齢では無い。
幸か不幸かは知らないが。
魔理沙は、足を動かすことを思いつかないようにその場所から離れない霊夢を眺める。その姿は、確かに普段どおりではあるかもしれないが、だからこそ気丈に見えて、それが虚勢なのだと見抜けてしまう。
どうしたものか。再び魔理沙はそう思い、今一度、本殿へと視線を向けた。そもそもの原因。こんな霊夢を作ってしまった原因は、間違いなく其処にある。
それは――
「……ん?」
ちいさな疑問が、脳裏を掠めた。浮かび、一瞬で消えたそれを、しかし魔理沙は正確に捉える。そうだ、と思った。そもそもが不自然ではあったのだ。時間という概念すら壊れてしまった自分だから気付かなかったけれど、だからと言って、こんな事態にあの妖怪が、あれほど享楽的で、それでいてあらゆるものを等しく愛するあの物好きな妖怪が、姿を見せぬ筈が無い。
そんな思考は、やがて一つの可能性を提示した。まさか、という思いは、驚くほど冷静な理性が否定する。
故に、魔理沙は確認の声を上げた。
「なぁ、霊夢」
「何? ご飯なら」
「いやもういいからそれは。第一私は其処まで食い意地張ったキャラじゃない」
「それなら何よ。言っとくけど、変なこと聞いたらいい加減叩き出すからね」
すっかり元の調子を、上辺だけとはいえ取り戻したらしい霊夢に、魔理沙は問う。
「紫か、幽々子。最近、どっちかの姿を見たか?」
「いいえ?」
想定外で、拍子抜けした質問だったのか。それがどうかしたの、と言わんばかりに首を傾げて答える霊夢。
故に、思いついた可能性がおそらくは真実だと知れた。やれやれ、と呟き、立ち上がる。
傍に立てかけてあった箒に跨ると、あら、と今度は霊夢から声を掛けられた。
「何処に行くの?」
「ちょっとな」
言う必要は無い、と思った。少なくとも今はまだ。寧ろ、言ってはならない、と思った。
言えば、きっと、この少女は博麗の巫女では無くなってしまうから。
箒が空に浮く。前方向へと加速。疑問の表情を浮かべたままこちらを見ている霊夢に軽く手を振って、魔理沙は博麗神社を後にした。
「まったく。ホント、面倒ごとに縁があるんだな、霊夢は」
空を飛ぶ最中口を着いたのは、間違いなく毒ではあったのだが。
それを呟いた魔理沙の顔は、笑っていた。
さもありなん。
もし自分の思ったことが事実であるのなら、それは、博麗霊夢と再開できるという意味なのだから。